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年を重ねることへの楽しみ

年を重ねることへの楽しみ
  
  今年は暖冬と聞いていたのに、突然寒波がやってきた。若い頃は冬も楽しみで、子供たちとスキーにもよく行ったし、雪の降る景色にも心が弾んだものだ。でも、六十を過ぎた今は、寒さが骨身に凍みてとても辛い。その上、年末に過労で倒れた衝撃は大きく、死が目の前に迫ってきた。だから今年は、春への思いが今まで以上に心に切なく募る。
そんな私の春を待つ楽しみの一つに、家の近くの有名な大寶寺の枝垂れ桜がある。そして昨年は大寶寺の御前と桜を愛でながら酒を飲む機会を得た。御前は手を合わせて、「ああ、今年も一年に一度の桜の観音様に出会えた。ありがたやありがたや」と桜を拝んでいた。私はその時の嬉しそうに拝む御前のお姿を思い出すたびに、昔の日本人がなぜ桜をあんなにも愛したのか深く分かった気がした。
それは、死があまりにも身近にあった無常の中で、厳しい冬をやっと生き延びて美しい桜や野山に今年も出会えた喜びは、現代人には想像できないほどにひとしおだったのだろうということだ。息吹に満ちた春の美しい光景が、この世の極楽、死を耐えた終末の中からの光、命の復活のように感じられたのではなかろうか。思えば、日本の伝統的な美の多くは、生の無常、死を強烈に意識するが故に命あるものへのあわれの共感と、永遠への憧れを求めた厳粛な美、凛とした美、解放された自在な境地の美であったように思われる。確かに西行や芭蕉の求めた世界、幽玄も侘びも寂びもかるみも、みなそのような世界であった。   
人は、体が元気で豊かな生活に満ちると、つい傲慢になってしまう。本当の美や心の真は、そのような人には寄り付かないのではないか。体が衰え、生活や未来への不安を抱えて生きざるを得ないこれからこそ、逆に言えば、自分の精進次第で、本当の美や生きている喜び、人のやさしさと出会える機会が多くなるのではないか。そんなことをしみじみと思いながら、病み上がりの私には、年を重ねることへの楽しみがまた一つ増えたようだ。
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