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これからの我らは

これからの我らは
                      
笠原仙一
  私はこの武生の地で、退職後の残り少ない人生を、少しでも、漆職人、詩人として貢献するとともに、反原発・日本国憲法を守る運動をしながら、自利利他行、ロマンロランのように生きたい、と願ってきた。そしてやっと一月から、金森先生の勧めで武生九条の会に入り、毎月九日の武生駅前での街宣行動、四月からは、戦争法案反対丹南市民の会を結成して、弁護士を招いての学習会や落合恵子講演会の開催、戦争と平和を語る集い、蔵の辻での戦争法反対集会とデモなど、仲間とともにやれるだけの行動はしてきた。感謝感激である。しかしそうは言っても、参議院で強行採決され、安保法案は可決されてしまった。残念至極である。
  しかし、この結果は、当然以前から予測されていたことであって驚くことではない。もう以前から、憲法の空洞化は進み、実質日本は、自由・平等・平和・基本的人権を求めた平和国家から、帝国主義的軍事独裁国家(アメリカ・国家・大企業・軍需産業・政治家・金持ちが自由に支配する国)へと変貌しつつあるのだ。その上、我々一般庶民は、福島などのように生存権すら奪われて、なお且つ、消費税、マイナンバー制度、派遣法などで、もう根こそぎなけなしのお金すら奪われる寸前で、格差社会のどん底へと突き落とされようとしているのだ。これから政府は、今度の想定外の国民的な安保法制反対大運動の衝撃から、憲法と9条をなんとしても撤廃するために、更なる操作扇動、脅し、統制強化を企てるだろう。冤罪逮捕や中国との騒動、事件等も意図的に起こすかもしれない。これからの我々の憲法九条を守る闘いは、このような状況下で行われるのだ。しかし、我々は、このような鬼のような政治や体制、集団に対して怯えてはならない。何故なら、まだ我々には憲法や9条があるのだ。世界の真理、人類の共通の願い、正義・良心が錦の御旗として我らにあるのだ。悪は政府だ。
  だからこそ我々は、爽やかに明るく笑い、語り合い、行動するのだ。憲法を守る、ただそれだけを合言葉に、非暴力の抵抗、抗議やデモをし、心は皆とともに生き、励まし合い、今度こそ本当に日本国憲法を生活に生かすために頑張るのだ。そして、できるだけ早く、中国の脅威などの扇動や経済や原発に対しても、日本国憲法で許す専守防衛、外交、経済や原発政策、他など、全てを網羅する救国的な方針を堂々と提示して、沖縄のように政府と対峙するのだ。それしか、滅びかかった我らの日本が生き延びるすべはもうないのだ。絶対に日本国憲法という錦の御旗を倒されてはいけないのだ。死んでも。
                       日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会機関紙福井県版に掲載された文章。               
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我らよ

   
 
我らよ
この地球のこの地で生きている 
我らよ

どんな時代がこようと
どんな苦しみにあおうと
どんな病気に襲われようと
「ひと」として
生きていかねばならぬ 我らよ

苦しいのが娑婆で
辛いことが多い人生であったとしても
未来を信じて
頑張るしかない我らよ

我らよ

我らにはまだ日本国憲法が残っている
9条が残っている
自由と平等 平和 基本的人権の願いは 
永久不変の真理だ
命あるものはみんな 平和に生きて行く権利があるのだ

我らよ
いとおしい我らよ

我らの宝 人類の 地球の宝 我らの憲法を守ろう
そのためにも声を上げ続けよう
勇気を振り絞って声を上げ続けよう
生活の中から静かな革命を呼び起こそう



 この序の詩は、故五十嵐 顕 先生の意見を参考に、初版の序の詩を修正した序詩に、今新しく追加を書き足した詩です。これからの時代、何が来ようと泣いても頑張らねばいけません。フアシズムが来ようと未来を信じて頑張るしかありません。憲法だけが我らを守ってくれます。憲法が変えられない限り、我らの方が正義・真理です。安倍達の方向に未来はありません。

         ー2001年笠原仙一詩集「定本我ら憤怒の地にありて」の序詩に追加。


  

今まさに20年たって闘いがなされようとしている。遅かったがそれでも希望はある。

国会前のデモの熱気、人々の姿を見ていると希望を感じる。僕は久々に日本人に感動して涙が流れた。

 僕も少しでもと思い、福井の地で、デモに初参加をした。40年ぶりだ。武生では、武生9条の会で、9日の日は、駅前で立っている。もうこれは、良心の問題で、党派など関係ない。日本の憲法、民主主義、国のありようの問題で、もう、小さな近所のエゴや差別、いじめで小さく遠慮しているような次元の問題ではないのだ。9月16日、頼むから日本全国で声を上げよう。橋本は、この少なさと我らを小ばかにしたがそれならもっともっと集まろう。

もう多くのマスメディアも、政治も、もう金持ちの世界の話ばかりだ。真実を語らず、常に彼らの上からの目線の視点を再現し応援し、いかにも正しいかのように焦点をはぐらかして、なにかもう僕たちから遠くに行ってしまったようだ。出演者はみんなお金持ち。豊かさを振りまいている。ニュースキャスターも原稿を読んでいるだけ。報道の自由、真実の報道などすっかり忘れてお金儲けのためにはしゃいでいる。ドラマや劇の娯楽番組も心温まるものは少ない。刑事物や医者物、残虐な事件の報道やグルメ番組、旅番組ばかりが目立ち、BSも政治的な意図がちらつくし、何か面白くない。操作された報道、操作された番組、娯楽番組、全てが何か一般の心とかけ離れた所で動いているのだ。何かこの差別・格差、報道支配に無性に腹が立ってくるのだ。我らは、金がないから旅番組を見てもどこにも行けない、生きていくのに必死でグルメなど食べられない。なにもない、ただ毎日働くだけ。勝ち組は、金持ちは楽しそうだ。豪華列車だって乗れる。おいしいものも食べれる。あのテレビに出てくる人のおいしそうに食べている姿。悲しくなるが、ため息ばかり。ああ、この世のすべては上から目線。金持ち優先。好き放題している。政治も自民党もすべてが金持ち、大企業優先。我らのことを虫けらだと思っているのだろう。そして彼らは、戦前が大好き、ヒットラーが大好き、自衛隊は我が軍と思っていて、国家は私と思っている。我らは、臣下なのだ。

日本は、平和憲法・9条によって守られた平和国家、自由と平等、平和、基本的人権を目指した世界から、自由と平等からかけ離れた格差社会・金持ち中心の国へ。特定秘密法案やマスコミ統制によってもう何をしているのかもわからなくなる大企業や軍中心、軍産業中心の秘密国家へ。自衛隊の段階から国家のためなら人殺しを平気でする軍隊へ、国民すら殺す軍隊へ。もう北朝鮮や中国と変わらない国へ。戦前から続く安倍やその一派達によって日本国憲法の精神は完全に戦前のように覆されようとしている。
この安保法案は彼らが描く最終段階のシナリオの一つとして彼らによって企てられている。何としても防がなくては日本が戦前と同じような国に堕してしまう。国会前に集まらなくては。もう僕たちや子供たちの未来はない。政治を取り戻さなければ、静かな革命を起こさなければ、もう日本の未来はない。フアシズム、独裁が来る。原発を止めなければ、福島第一原発を何とかせねば、オリンピックなどしている余裕が日本にはないはずだ。もう日本は崩壊前夜だ。憤怒を慰める道はない。
集まろう国会に、声を出そう、それしか自分や日本を救う道はない。日本国憲法がある限り我々が正義だ。

長くなって悪いのですが、1994年に出した、詩集「われら憤怒の地にありて」の「前夜」を掲載します。あの頃は、この詩が、この詩集を悪くした元凶で、過激で政治的だと皆から揶揄された。今見直されているのはうれしいやら悲しいやら。   

   前夜
                                           笠原仙一  

                            
とうとう小選挙区制法案が通ったわ
まあ うれしそうに
政治改革 カイカクと テレビや新聞だけが
囃し立てるが これでますます
あかんわ もう
滅びるかもしれんわ 日本は
傲慢で強欲で金の亡者で利己的で
もう 心の底から頽廃で
それを システムや組織やマスコミが
煽って煽って
飾り立てて
心はもうこころではなく
良心 誠実 理性 真理 そんな価値観も
時代おくれと追いやられて
もうあかんわ
日本の未来はないかもしれんわ
弱者や金のない人には ますます政治は遠く
貧富の差は いよいよ激しくなり
病気になっても 年をとっても
暴力を受けても 冤罪にまき込まれても
誰も助けてくれず
人としての自由や権利は奪われて
無視され
捨てられ
国家や
殿様や権力者や金持ちの自由ばかりがまかり通って
それに群がる亡者どもやごろつきどもが
ますます
ますます権力を誇示して 脅して
ころりと世の中変わるのだ
憲法にかろうじて守られて四十七年
基本的人権や良心 理性 庶民の夢は終わり
権力者達の自由な時代が
再びやって来るのだ

しかし
しかしだ
投票するのは我らで
まだ我らには日本国憲法も残っているので
国民投票も残っているのだ
だから
はやく できるだけはやく
私情を捨て 日本の未来のために
社会党の人も 共産党の人も 組合の人も
学者達も 文筆家達も 芸術家達も
良心派も リベラル派も
草の根市民運動をしている人達も
みんなまとまって 今こそまとまって
真の護憲リベラル党を結成して欲しいのだ
今こそ 庶民の生活 権利
平和 民主主義 憲法を育てるための運動をして欲しいのだ
なあ

みんなまとまらな
今こそまとまらな
あんなに今まで 平和だ 民主主義だと言っていたのに
いったい俺たちの良心は 戦後の良心はなんだったのだ
この平和はなんだったのだ
我らよ すべてが無駄になってしまうじゃないか
このままでは最後には押し潰されてしまうじゃないか
戦後日本人が抱いた 夢も希望も自由も民主主義も消え失せて
また ファシズムがやって来るじゃないか
このまま黙って 憲法まで変えられたら
もう我らは 根性なし 卑怯者になってしまうじゃないか
                                        
─笠原仙一詩集「われら憤怒の地にありて」 一九九四年─

詩人会議1月号・8月号について。

僕は、30年近くの詩人会議の会員であるが、最近の冊子を見ていると、編集方針に権威主義が感じられて情けなくなることがある

  昔は、谷川俊太郎や荒川洋治など載せなかったし、それも、押し戴くように最初に掲載する。このようなことが秋村氏が編集長になってから顕著になって来た。また、詩人の掲載にもランクがあるようだ。いっぱい掲載し、一面では多くの詩人が参加しているようには思えるが、作品の内容や作品の評価よりも、参加人数の多さやネームバリューを中心に掲載している観がある。これは、多くの詩人に参加してもらおうという配慮だろうが、作品の質が落ちる上に読んでいても感動しない。スーパーマーケットの安い品物(それは一般の地方の詩人)と同じで、メインは、彼らがランク付け賞を得た人たちの内容不問の作品の掲載である。その典型が、押し戴くように掲載する谷川や荒川達である。でもねえ、本当のことを言えば、彼らは、昔は(今もそうだが)、私達を「生活詩だ、政治的だ」と一番軽蔑し、敵視していた連中で、今も、マスコミを使って、また行政などと密着して甘い汁を吸っている詩人屋的な存在の典型的な人達である。特に荒川氏などは、様々な賞の審査員を歴任し、自分の懇意にしている者やグループ、自分自身にも賞を与えるほどの詩人屋である。そう言えば、秋村氏等も、自分で自分に賞を与えているが、やはり、このような姿勢やムードがどこか詩人会議の親分たちにも巣食ってきた、そんな気がしてならぬのである。冊子の特集や内容は、いかにも社会派的な、時流を得たようなテーマが多いが、実際に掲載されている詩の内容や言葉、詩心は、硬直した実に新鮮味のない、昔ながらの推敲不足の作品が多いのである。正直、投稿するものもマンネリ化し名前を売るための冊子に堕している、そんな気がするのである。正直詩人会議の親分たちも、谷川氏等を掲載すると、いかにも一般的な詩冊子、左翼の冊子という偏見から脱皮したメジャー的な冊子、彼らも我らの詩の仲間(事実、谷川氏等も憲法について守ることを発言し始めたが、荒川氏等も、詩人会議に掲載することによって、自分の狭い領域から脱皮し、いかにも良心のある詩人的なムードを示そうとしているようだが)であるかのようなムードつくりをして仲間を増やす試みをしているようだが、実質は逆に思える。彼らは、今の憲法9条を守ろうという社会の流れが大きいので、風見鶏のようにこちらにすり寄ってきているだけなように私には思える。実際、彼らの掲載している内容の作品は、実に魂がこもっていない。完全に利用されているとしか私には思えない。                            詩人会議は、壺井繁治以降、ずーっと9条を守り発展させよう、詩を、民主的な詩を作ろうと、思潮社らと対峙して、言葉遊びや難解な現代詩と対峙し頑張ってきたのだ。その、日の当たらないなかでも永続的な先人たちの努力が、それがやっと実を結び、この危機に、大きな力となって大きなうねりを作る原動力となっていることをもっともっと自覚と自信をもって、民主的な詩の創造に、言葉も生き方もすべて含んだ、詩の心を、詩の表現を更に追求する先頭に立つべきだ。生きる力となる詩をもっともっと自信をもって創造し、アピールすべきだ。何度も言うが、谷川氏や荒川氏の作品を押し戴くように掲載するということは、これが、この冊子の代表の詩ということなのだ。僕は、詩人会議の良心的な、そして必死に詩の道を追求しているものにとって、そして今までの生き方を守ってきた人々にとって、きっと、詩人会議のこの編集方針は、1月号や8月号のこの姿勢は、心の中で悲しいだろうと思う。屈辱的なことと思う。言っては駄目だが、他の冊子で、もっともっと民主的で斬新な冊子へと成長している冊子もある。意欲的に取り組んでいる冊子もでている。「詩人会議」の冊子はもっと過激で前衛的で、世界にアピールするほどの冊子、日本の詩人の良心の冊子、詩人たちの集まり、そうあるべきだし、そう目指すべきだ。そのためにも、マスコミにおもねず、きちんと対峙して、詩の心を求めて、名前ではなく、ああ読んで良かったなと思えるような良い作品を掲載するようしっかりと努力すべきだ。それが最終的には力となる。経営していくにはいろんな困難もあろう。しかし、魅力のない冊子やおもねる冊子、個性化できない冊子は自然と滅びていくのだ。年とったことを自覚しない人、自分をしっかり見つめず、人の声が素直に聞けなくなっている人が硬直化したり立場を握っていると、それは自然と傲慢化につながる。すると若い者は本当に嫌になる。他に移りたくなる。新しく作りたくなる。それは、どの組織でも、どの会でも、政治の世界でも同じだ。またそれが自然の流れだ。

「水脈」54号作品2篇・・・沁みとおれ心よ・希望

沁みとおれ心よ
       笠原仙一

人生が落ちる時
私は何を夢見ているだろう

片想いと死の恐怖と受験ノイローゼに狂った
青春時代の夢だろうか
辛く悲しかった教師時代の闘いの夢だろうか
それとも残りの人生での心のありようだろうか

いとおしい我が命よ
残り少ない我が時よ

民主教育の夢は破れたままで
詩の道も 
漆や絵や地域文化創造の夢も
日本国憲法を守る夢も
少しでも自利利他行の生き方を と
誓ってはいるが
夢 今だ至らず

私の心よ
私の残りのすべての時が
端坐し 動き踊り詩(うた)いしながら
澄んだ創造の 自由の営みに溶けよ
詩の心へと沁み変われ

宙へ
祈りへ
沁みとおれ

 



希望
笠原仙一

この世はままならぬ
ひとの生き死にや心は特にままならぬ

ひとは神さまのように完全に
水のように純粋に 柔軟に
生きていくことなどできない

でも 
いつの時代でも
本当の価値に憧れ
心の美しさに憧れ
しあわせを求めて生きているひとがいる

ひとは多様でふしぎな生き物だ
実にふしぎな生き物だ
だから
希望がある
だから
詩の心を愛するひとも生まれる

だから
未来へ・・・

そんな希望だけで今は詩を書く
笑ってくれ

沁みて生きる幸せ

沁みて生きる幸せ

 比較的幸せな人生を過ごしてきたように思われる実家の父が、晩年になって老いて苦しんでいる姿を見ると、人は長生きをしても大変だ、人生とは幸も不幸も必ず同じように平等にやってくる、そう沁みて思う。笠原の父や母の方は早くして死んだので、私たち夫婦は、若い時、人並み以上の苦労をした。そして時には、もっと長生きをしてくれていたらなあと嘆いたこともある。しかし今は、介護で苦しんでいる兄や友と違い、不思議なほど楽で落ち着いた生活を送っている。
 しかし、この平和な時も長くは続くまい。私達が老いて介護が必要になった時、子供達は親の介護で苦しむ親の姿を見ていないから、きっと私達は、子供達から邪魔者扱いをされるだろう。今の幸せはいつかまた報いが来るだろうと思っている。すべては順繰りである。
 さて、その時、どう私は心根を保っているだろうか。仏陀の道も、今まで求めてきた詩の道も、それ一点の修行だったのかもしれない、最近そのようなことを沁みて悟って、昔以上に深く手を合わすことができるようになった。風や空や大地や草花と感じ合えるようになった。沁みて命を、自利利他行、人の心を感じるようになった。自然と笑えるようになった。今の私は、この心境を密かに幸せに感じているのである。

今こそ池田錬二詩集 「蝗軍」を!

今こそ池田錬二詩集 「蝗軍」を!
今こそ本当の詩集を思い出そう。それは、あの感動の詩集「蝗軍」だ。
下の紹介分は、もう10年ほど前の笠原仙一おすすめ詩集からとって来た紹介文である。
1989年5月 初版発行 露滴山房 750円
             長野県出身 1919年生まれ
池田錬二暉軍
こんな衝撃を受けた詩集は初めてであった。この詩集は、大日本帝国軍、天皇の軍隊の実体を詩でさらした詩集である。「中国では天皇の軍隊=皇軍を蝗軍と書いた」で始まるこの詩集は、それはそれは恐ろしいものである。これが、日本軍の実体であり、天皇軍の真実である。濱口国雄の詩にもすごい作品があるが、戦争とは、軍隊とは人間を鬼畜にしてしまうこの恐ろしい事実に、ふるえを生じさせる。アウシュビッツもそうであった。すべてそうであった。戦争は、鬼畜、人殺し、である。どのような正義も、実は正義でないのである。
この詩集を読むと、何故、戦争をしたくなるのか、小林よしのりや石原慎太郎が、小泉首相が何故戦争を美化しようとするのかそれが不思議でならない。有事法制などと言った戦争のための準備を喜々としてしようとするのか不思議でならなくなる。また、彼らにだまされて、日本国憲法を変えようなどと言う人々の心がいかに鬼畜と化しつつあるかが見えてくる。どうぞ、反戦詩の決定版ともいえる詩集、この詩集を読まずして、戦後の平和のすばらしさが語れないほどの詩集どうぞお読み下さい。
もう、5000部以上広まっているとのこと、どうぞ皆様、今の時代だからこそ一読を。お願いします。

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