笠原仙一は6冊詩集を出しております。このコーナーでは、その詩集の紹介を簡単に致します。どうか皆さまよろしくお願いします。「詩集我ら憤怒の地にありて」の紹介
上は、最初の詩集(1994年出版私家版 )であり、詩集名や表紙のデザインは、佐野周一氏の発案。過激、素晴らしいと言う批判と評価がドッと来て瞬く間に品切れとなった幻の詩集。今は絶版。下は、定本で第二詩集(2001年出版私家版)2000部印刷(残部300冊ほど)となります。デザインは、朝日静文氏、帯文は、三浦光世・綾子ご夫妻からいただいた。大変貴重で感動的な帯文。これが唯一の自慢。
序 この序の詩は、故五十嵐 顕 先生の意見を参考に、初版の序の詩を修正しております。五十嵐先生の貴重な御意見、生き方は私に沁みております。我らよ
この地球のこの地で 生きている
我らよ
どんな時代がこようと
どんな苦しみにあおうと
どんな病気に襲われようと
「ひと」として
生きていかねばならぬ 我らよ
苦しいのが娑婆で
辛いことが多い人生であったとしても
未来を信じて
頑張るしかない我らよ
原発の町
この詩は、詩人会議という雑誌の、84年ごろ 自由の広場で、年間最優秀作品として、掲載された作品です。私が30歳の頃です。あれから30年が経ちます。
山肌が点々と続く
半島の突端に
巨大な白いドームが そびえている。
俺らは その傍らで
以前と同じように 生きのびて いた。
ある者は会社や工場で
ある者は旅館や民宿で
ある者は学校や店先で
ある者は家の中で
ある者は病院で
ある者は町外れの田んぼや畑で
またある者は・・・。
ある者は・・・。
と・・・。
だが
その間も
原発は
繰り返し繰り返し 故障した。
その度に
ムラサキツユクサは 驚くほど
色が変わる。
しかし ある者は
よそごとのようにそ知らぬ顔をして
仕事にあけくれていた。
大飯一号機が ふたたび 事故を起こす。
癌患者発見率が 異常に高くなっていると
報道される。
それでも
ある者は
そ知らぬふりをしていた。
そして 今
あの「高速増殖炉」は着々と建設され
大飯三・四号機の増設も決定された。
それでも
多くのある者は
じっと沈黙している。
そして
俺も
じ っ と
沈黙している。 だが 時々
ふっと
思い出したように恐怖に襲われて
自分に愛想が尽きる。
「いったい俺は 死ぬまで黙り続ける気か
死ぬ間際になって
心配したとおりになった
と 叫ぶつもりなのか・・・」と。
ああ 素朴で のどかだった町も
変わった。
場違いなほどの役所・公民館・学校・民宿
賑わいを見せるパチンコ店・バー・スナック
それはそれは ギンギラと
浮浪者の町のように
拡大し
群れ 群がり
まるで都会が来たように
華やかになった。
しかし いつまで
この光景が 続くだろう。
いつまで
このようにして 生きれるだろう。
―1984年―
エアーズロックにて やっと念願がかない 遙かオーストラリア大陸の中心の
エアーズロックとマウントオルガ(風の谷)に行くことができました
その地は一面の天が大地を支配し
時がなく 時があり
太陽が昇り 太陽が沈み
青空と星と大地と 静けさ
それでいてどこかあたたかい光の満ちた空間でした
その中心の頂で
空のまぶしさに圧倒されながらも
僕はドーッと寝転がらせて貰いました
しばらく空を眺めながら うとうととしていると
あっというまに
一面に広がる大地の光の錯乱反射が
風とともに地上から僕を吹き上げ
髪も手もこころも そしてどっぷりと人間の体をした肉体をも
はるか成層圏に舞い上げてくれたのです
ああ そこに舞い上がった僕は
輝く太陽 どこまでも澄んだ空間
澄んだ青 透きとおる感覚 満ちてくる光 至福
確かに 確かに光と化していました
それはふしぎな空間でした
地球の 巨大なマウントオルガの岩陰の底で
僕は 端座し 仰ぎ見つめていました
すると
いる 確かにいる
どこからか かすかな地の音 響き 気配
あっちからこっちから はるかかなたの
命ある者の 乱舞いの 聞こえてくるささやき
命ある 風の声 光 静寂 時のそよぎ 空間
確かに 風の谷を通ってこの地に降り注ぐこころたちがいる
僕はその声に包まれ
湧き上がる喜びと悔恨に満たされて
感動でふるえていました
ああ 傲慢だったのだ傲慢だったのだ
これでもまだまだ まだまだだったのだ
君はこんなに近くにいたのに
こんなにやさしく光っていたのに
すべてが生きていて すべてがささやいていて
すべてが光り輝いて 命があって
こんなにやさしく包んでいてくれていたのに
いったい今までなにを見ていたのだろ
なにを感じていたのだろ
※ ※
この旅から帰郷した僕は
それからいつも 一人ではない自分を感じるようになりました
君のささやきを感じて
君のやさしさ こころを感じて
なにかしあわせなのです
そしてやっと
やっとなにか
僕がこれから詩うことはなにかを見つけた気がしているのです
もう 自由に詩える そんなこころになれた気がしているのです
もう心配ない 心配ない
僕はもう
きみのこころを自由に詩うだけだから
感ずるままに 願うままに
─2001年─
詩集・・「月の夜の詩」の紹介
表紙絵は、松村あらじん氏の絵が気に入り、どうしてもとお願いして掲載させていただいた。この詩集にぴったりととても評判だった。また、この詩集は、「われら憤怒の地にありて」が過激で誤解されたので、そうではない、このような詩も書くのだと意気込んで、「われら憤怒の地にありて」を補足する意味で出版した。私家版(2003年出版)ではあるが初版は絶版となり、2刷り目となり、残部も100冊ほどしかない。今になって後悔することは、この2冊の詩集を、大手出版から出せばよかったということである。そうすれば僕の運命も相当に変わっていたであろう。
序詩この序詩はとても好評で、平澤光紀氏が作曲し 歌を歌ってくださいました。遙かな遙かな昔のこと
天の瞳の
奥の奥 ゆら ゆら
ゆらゆら
ゆらゆら
万象 青白く
ゆらゆら
どこからか
神様の気まぐれな 咳
コン
コンコン
ああ この神様の気まぐれな咳が
この世界の無常の始まりだったとしても
生まれた世界は
あまりにも美しい
命あるものは
あまりにも いとおしい
________________________________________
滅びの予感に
夢
幻のように
この強欲な繁栄は
この虚飾の花は
きっと否定される
それは
死がその人のいっさいを消すように
それは
チエルノブイリが消えたように
巨大なツインタワーが崩れ落ちたように
君は聞こえているか
山や海の神の怒り
機械のきしみ
それは滅びの足音
それは地球の悲しみ
それでも驕りたかぶったヒトの化け物達は
遺伝子を切り替え 人工物で肉体を改造し
新しい技術で武装し おのれだけは生きのびようと
おのれだけはより快適な生活を独占しようと
世界を独占しようと暴力を繰り返している
破滅を手繰り寄せている
ああどうしてなのだろう
この地なくして
この地球なくして この故郷なくして
慈しみや良心や愛をなくしてヒトは生きられないのに
必ずヒトは死ぬのに ひとりでは生きていかれないのに
どんなに仮想現実や歌で不安をうち消そうとしても
どんなに欲望を満足させても
こころは満たされないのに
この繁栄は 夢 幻
驕りたかぶった世界に真実はない
価値はない
広がるものは荒廃した鬼のような心の世界
汚染された大地や海や川
僕は眠れない
地球の悲しみよ 驕る人類よ破滅へと一直線に走る人類よ
事実広島や長崎が消えたようにチエルノブイリが消えたように驕りたかぶったこの文明はすべて消え去るのだ夢幻の如くに消え去ってしまうのだ去るのだ ああ僕は眠れない 死がその人のいっさいを消すように 確かに広島や長崎は消えたのだチエルノブイリは消えたのだ 傲慢なすべてのいっさいが消える そんな予感に僕のこころは震えて眠れない
九・一一
この地 悲しみ みち
怒りみち
怨みみち
アメリカ帝国の
中枢の
幾重にも守られた
ニューヨークに
輝きそびえるツインタワー
それは繁栄の
帝国の
塔
ああ 我らのタワーが燃える
崩壊していく崩れ落ちていく煙の中に沈んでいく地の中に埋もれていく
何千人もの我らの超エリート企業戦士が肉屑となって天から降ってくる
この震えこのショック
この怒りこの悲しみこの怨み
はらさずにおくものか
またも
壊れ廃墟と化した 飢え苦しむ人々に
爆弾の雨 ウラン弾の雨
グローバル化の雨
略奪の雨
根こそぎの雨
そして 枯れた土地に植え付けるのは
アメリカのタネ
この地 悲しみ みち
怒りみち
怨みみち
この怨み はらさずにおくものか
繰り返される
この怨み
繰り返される
この怨み
また戦争が
ひとが 死ぬ 悲しいほど死ぬ
桜
さくらさくら
美しいふるさとのこころ酔わせて
ほのかに薄紅色にそまるさくら
お前がこの日本に咲かなかったら ネ
さくら
今日は 毎年恒例の 妻と日野川にお前を見に
散歩だよ
子どもたちと
よく行ったね
お空一面にひろがる花びらに
魂までよっぱらって酔っぱらって
花ふぶきに
あなたの髪も子どもたちの笑顔も
とけて
そまったね
さくらさくら
雪のように
ひらひら ひらひら ひらひら
花びらにかくれて
こっそりキスしたね
からみあう花びら
流れる薄紅
こぼれる吐息
しあわせな日本の春 だったね
月の夜の詩
ほんとに静かになったね
ええ あんなにやかましかったのに
今年の夏は 異常に暑いから
九月まで鳴いてるのかと思ったら
やっぱり やんだね
みんな死んだね
時期がくると
ふしぎと みんな死ぬね
十月頃まで鳴いている蝉がいてもいいのにね
ひとはみな しあわせになりたいのだよ
ひとはみな 一人ではさびしいのだよ
死ぬのはこわいね
僕が先に死んで手本を見せてやるよ
そうだなあ
こんなかわいい子を残しては死ねんな
あの草むらで鳴く虫も
みんな生きているよ
生きているよ
アキアカネだって山でまっているよ
でも おやじはえらかった
あんなすごい癌で
髪が抜け 骸骨のようになっても
みなを笑わせていた
そして
夜明けがきて
とても元気だからと母親が窓を開けたら
朝の澄んだ青空の中に
知らぬ間にとけていた
僕はその時
おやじのやさしさを感じたよ
おやじの願いを感じたよ
ひとのやさしさ とは なに
死 とは なに
そう
この美しい月夜にも
どこかで
マカサッタ王子は
飢えた虎の子のために
虚空に身を投げ
合掌し 落下している
ああ 命あるものの美しさよ
命あるもののいとおしさよ
詩集「我ら憤怒の地にありて」より詩集・・「風と岩と」の紹介(2003年福井詩人会議水脈出版)
もうあおい氏と私だけになってしまいました。私は、浅田氏とは特に気が合いまして、なた、私、佐野、浅田、この4人が水脈の中心で頑張っていた時は、反骨で自由で楽しかった。本当に楽しかった。浅田さんが死んで水脈は稲木さんの時代になり次第に楽しくなくなった。 序詩 野路英夫
千年たっても動くな
万年たっても動くな
てこでも動くな
おはぐろ壺
あおいなおき
僕の机の上の おはぐろ壺
みどりの つやはだで
座っている
ほんとうに
座っていると言う
言葉が
お前には よく 似合う
人々には
三百年前とか 四百年年前の作とか
言うけれど
それは どうだって いいのです
いつも おはぐろを
一杯にして
じっと 座りつづけてきた
遠い昔の
どこかの娘の おはぐろ壺
そして ながいながいあいだ
蔵の中に
ころがされていた おはぐろ壺
僕は
お前に
花を活けてあげる
お前には
やっぱり
野の一輪が
よく 似合う
誰だってひとりぼっち
浅田豊
県境の小駅を降りると、四、五件ある家の灯りが薄暗がりのなかに
かすんでいた。学校帰りの子を待つのだろうか、車がずらり並んでいた
妻の姿のあろうはずはなかった
死んでもう五年になる
うれしそうにスピードをあげて次つぎに車が通り過ぎて、
あたりは暗さを増した。その道端に小猫がか細く啼いていた。
食べ物をくれ
誰か抱いてって
とないていた
バカヤロウ、啼くんじゃねェ
誰だってひとりなんだ
啼いたって誰も助けくれはしないんだ
思わず口にしていた
お前一匹ぐらい養えるけれど
妻が、犬も猫も嫌いだったんだ
ごめんな
ふり返ったらまだ啼いていた
杜を過ぎ、集落を通り、細長くのびた水路の道で、青鷺が急に飛び立った。
一羽だった。悠然と飛びつづけ、見えなくなった
仲間のところへ行けよな
仲間っていいもんだよ
助けてくれるかもしれんじゃないか
早く集まる場所を見つけろよ
月が淡くかかっていた
帰り着いた家は寒々と真っ暗だった
病の重なったあの頃、妻は家に灯もつけず、玄関わきに佇んで待っていた
「そんなに急いで来なくてもいいのに。私は大丈夫よ」と、
さびしくほほ笑んだ妻の顔が浮かんで、消えた
他、皆様の一読を請う。詩集・・「天涯の郷」の紹介
松村あらじんさんの挿絵おもしろいでしょう。詩集の中にも、あらじんさんの個性がいっぱい詰まっている。僕はとても気に入っている。詩集の中で、このような斬新なデザインはあまりないのが僕の自慢。
この詩集は、各詩は独立しながらも叙事詩風にストーリー性を持たせて作成した、詩の文学史の歴史の中でも稀有な詩集の一つである。絶望と虚無、人間不信で死に寸前に陥っていた男が、一人夢の中のの案内人によって旅をし、自分を取り戻し、新たな出発を始めようとした詩である。高校時代、二十歳までの私の精神状況を比喩的に表現し、ケルケゴールとサルトル、仏陀や憲法、民主主義の思想の中で自分の生き方に目覚めた姿を表現した詩集で、私の思想の根幹、詩の根幹、立脚点を書いた詩集である。私にとっては、一番思想的な思いを含めた詩集であった。(2005年出版詩画工房)残部50冊ほど。 序詩 宇治平等院鳳凰堂にて・・・
不思議なことに
あなたは今も
空と鳳凰堂大棟との狭間に
とまっている
一千年近く静かにとまっている
茜雲の空はめくるめく速さで走っているのに
風景も人も時代も
全てが疾風のように走っているのに
いつまでもいつまでも
多くの人々の
願いそのまま
かなえられない
願いそのまま
憧憬やさしい君は
もういるところがない
もうどうすることもできなくて
誠実に自分なりに働いていても
つらくて泣きそう
君の魂は
いつも悲しみでふるえている
これだけ文明が傲慢化してくると
欲望や競争や差別
テロや戦争の話ばかりで
自分の利益のことばかりで
悲しくなるばかり
もういるところはこの世界にはないようで
孤独な旅人のように
君の魂はいつも遠くをふらりふらりと浮遊する
今日もどこか村のはずれの土手の上にでも座っているのであろうか
遠くにざわめきのようなものが聞こえ
夢うつつ目を閉じると現れる
稲田色の天涯の郷
魂はその土手の上で 昼夜
空からの一筋の光を
手を合わせ 待っている朝一番の
カラスの鳴き声
始まった
また今日も
この日も
君は 村のはずれの土手の上に独り座って
憑かれた人のように 終日 空からの一筋の光を待っていた
こんなにも美しい世界なのに
自然も世界もきらめいているのに
ヒトはどうして幸せに生きることができないのだろう
元気に働き
時間を楽しみ
豊かな科学技術で
どうして幸せな世界を造ることができないのだろう
未来よ 答えておくれ
未来よ ヒトはどうなるのだろう
ああ 地が震う
人が狂う
Ⅱ
幻影 仕事に疲れ
端座し
こころ静めていると
ふと現れる
幻影
山眠る
寒林 に
我が姿
しんしん と
朽ち葉踏み
時折り
木立 震え
ふくろう梟
鳴き
背後の
夕闇の空に
真っ暗なおお巨きなもの
立ちのぼり
さまよう我が姿
空の道
うつらうつら眠れず
遠くに白く浮かぶ
一本の桜を眺めていると
春風一陣 吹き過ぎ
花びら
ぐんじょう群青の夜空に舞い上がったその時
そうきゅう蒼穹の 宙の
雲間から
月
こぼ零れる光
一筋に
空の道
青白き空の道
一筋に
あわれ
桜 酔っぱらう
詩集・・「ひとと宙(そら)」の紹介
この詩集(2010年出版土曜美術社出版販売)は、「天涯の郷」をさらに発展させ、新境地を表現した、笠原仙一詩の世界、笠原仙一思想の世界を表現した、極めて抽象的な世界を斬新極まりない表現で、また、過去の技法をすべて入れて表現した世界である。僕の思想の姿である。なかなか理解されないようではあるが、未来は必ず評価するものが現れると信じている。今の詩人で、私以外にこのような表現で詩を書く人はいない。このような思想を詩集で表現できる詩人はいないのだが、画期的であるはずだが、苦労して作っても無名な私の試みなど誰も真剣に読もうとしてくれないことがあまりにも残念である。無名である悲哀を痛切に感じた詩集である。いつかは未来の誰かがわかってくれる、そう私は祈っている。
憧
この詩は、「詩と思想」と言う詩誌の年間最優秀名詩の一篇に選ばれ ました。
桜の花びらが
奈良の都に舞うころ
こころに貼りつくものは
花霞の中の向こうに現れる 真っ赤な夕日
その時 時は 友のように端座し
東大寺二月堂の 欄干の上に佇んでいる
〈 この星に
〈 我が 命
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
カナ
∞(むげん)
一日は
∞の夢のように
黙している
阿修羅像の お姿に
始まりもなく終わりもなく
前もなく後ろもない
∞の闇の中
あなたは
静かに位置し
手を合わせ
憂いを含んだまなざしで
じーっと 見つめている
この闇を
この八苦の娑婆を
この∞を
千三百年の ひとの願い 祈りを一身に受けて
あることで 存在していることで
静かに 静かに 正している
あなたの発するこころは
あなたを支えるこころは
この娑婆に
この地に
この宙に
遥か億年の星が
夜空にまたたくように
ひびきあい
つながりあい
澄んだ波紋となり
一日は
∞の夢のように
延びてゆく
詩集・・「明日のまほろば~越前武生からの祈り~」の紹介
この詩集(2013年出版コールサック社)は、私が退職した区切りとして作成するとともに、退職後の生き方を示し、私や日本の未来の方向性を指し示めそうとの野心的な意図で作りました。日本は今破滅の道、崩壊の道に陥ろうとしています。その中で、私たちはどのように生きるか、その方向を指し示すために、詩で描こうとしました。3.11以降の日本、その中で、必死に生きている。何が怒ろうと、生きて行かねばならぬ。「我ら憤怒の地にありて」も、憲法と愛と人の心、詩の心仏陀の心、真理を求め、道の心を抱いて生きて行かねばならぬ。強欲、傲慢な人、マスコミや独裁政治家に負けてはいけない。優しい心の人のための詩集です。
序詩 まこと宙(そら)のしじまに
幾筋もの涙
僕はあいも変わらず
コンコンと鑿(のみ)を打ち込む真似事をしている
それは
空(くう)の壁に
それは
無常の壁に
時々
悲しすぎて
空(そら)に漂う詩(うた)に化したり
大寶寺の鐘の音にとけてしまったりもしたが
それでも
コンコンと鑿を打ち込む真似事をしている
みんな必死に悲しみをこらえて
がんばっていることを知っているから
小さな命あるものの祈りを
まこと に したいから
秋思空は
澄んだ秋の 日本の空なのに
淋しい山の辺の道には
母や日本の瞳が 枯れ葉のように落ちている
遥か遠く 五重の塔の
飛天の笛の音は
まほろばの郷愁に夢を馳せていても
もう あちらこちら
涙でいっぱいだ
三輪山の鳥居には
赤とんぼが
舞っている
コスモスの咲く道路の隅には
野仏がたたずんでいる
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