最近、僕の詩的予感は恐ろしく滅びの不安に震えるのだ。
それは福島第一原発の深刻な状況です。
もう、原発の下のセメントが溶ける寸前、いよいよ
溶け落ちた燃料棒が地面の中に落ちていくのではと心配でならないのです。
そしたら、水と反応して核爆発するのではと心配なのです。
とてもではないが東京オリンピックなどしている暇はない。
また、冷やすための水によって汚染水は増えるばかり。薄めて海に流しているらしいが、
東京、北関東すべてに汚染は進んでいる。
原発作業員も800名死んでいるとの情報もあり、
癌発生率が増えるのは4年目からというから、静かに恐ろしい状態が進んでいると思って間違いない。
フアシズム化した政府やマスコミは情報を絶対に公開しないが
隠してももう限界の状況に来ていると思われる。
日本の破滅はすぐそこに来ている。僕は怖れ、不安でたまらないのだ。
日本政府は狂っているとしか思われず、自民党やマスコミもどうなってしまったのか。
このまま滅びを待つしかないのか?なむさん。
滅びの予感に
笠原仙一
夢
幻のように
この強欲な繁栄は
この虚飾の花は
きっと否定される
それは
死がその人のいっさいを消すように
それは
チエルノブイリが消えたように
巨大なツインタワーが崩れ落ちたように
君は聞こえているか
山や海の神の怒り
機械のきしみ
それは滅びの足音
それは地球の悲しみ
それでも驕りたかぶったヒトの化け物達は
遺伝子を切り替え 人工物で肉体を改造し
新しい技術で武装し おのれだけは生きのびようと
おのれだけはより快適な生活を独占しようと
世界を独占しようと暴力を繰り返している
破滅を手繰り寄せている
ああどうしてなのだろう
この地なくして
この地球なくして この故郷なくして
慈しみや良心や愛をなくしてヒトは生きられないのに
必ずヒトは死ぬのに ひとりでは生きていかれないのに
どんなに仮想現実や歌で不安をうち消そうとしても
どんなに欲望を満足させても
こころは満たされないのに
この繁栄は 夢 幻
驕りたかぶった世界に真実はない
価値はない
広がるものは荒廃した鬼のような心の世界
汚染された大地や海や川
僕は眠れない
地球の悲しみよ 驕る人類よ破滅へと一直線に走る人類よ
事実広島や長崎が消えたようにチエルノブイリが消えたように驕りたかぶったこの文明はすべて消え去るのだ夢幻の如くに消え去ってしまうのだ去るのだ ああ僕は眠れない 死がその人のいっさいを消すように 確かに広島や長崎は消えたのだチエルノブイリは消えたのだ 傲慢なすべてのいっさいが消える そんな予感に僕のこころは震えて眠れない
詩集「月の夜の詩」より
序
我らよ
この地球のこの地で生きている
我らよ
どんな時代がこようと
どんな苦しみにあおうと
どんな病気に襲われようと
「ひと」として
生きていかねばならぬ 我らよ
苦しいのが娑婆で
辛いことが多い人生であったとしても
未来を信じて
頑張るしかない我らよ
我らよ
我らにはまだ日本国憲法が残っている
9条が残っている
自由と平等 平和 基本的人権の願いは
永久不変の真理だ
命あるものはみんな 平和に生きて行く権利があるのだ
我らよ
いとおしい我らよ
我らの宝 人類の 地球の宝 我らの憲法を守ろう
そのためにも声を上げ続けよう
勇気を振り絞って声を上げ続けよう
生活の中から静かな革命を呼び起こそう
この序の詩は、故五十嵐 顕 先生の意見を参考に、初版の序の詩を修正した序詩に、今新しく追加を書き足した詩です。これからの時代、何が来ようと泣いても頑張らねばいけません。フアシズムが来ようと未来を信じて頑張るしかありません。憲法だけが我らを守ってくれます。憲法が変えられない限り、我らの方が正義・真理です。安倍達の方向に未来はありません。
ー2001年笠原仙一詩集「定本我ら憤怒の地にありて」の序詩に追加。
国会前のデモの熱気、人々の姿を見ていると希望を感じる。僕は久々に日本人に感動して涙が流れた。
僕も少しでもと思い、福井の地で、デモに初参加をした。40年ぶりだ。武生では、武生9条の会で、9日の日は、駅前で立っている。もうこれは、良心の問題で、党派など関係ない。日本の憲法、民主主義、国のありようの問題で、もう、小さな近所のエゴや差別、いじめで小さく遠慮しているような次元の問題ではないのだ。9月16日、頼むから日本全国で声を上げよう。橋本は、この少なさと我らを小ばかにしたがそれならもっともっと集まろう。
もう多くのマスメディアも、政治も、もう金持ちの世界の話ばかりだ。真実を語らず、常に彼らの上からの目線の視点を再現し応援し、いかにも正しいかのように焦点をはぐらかして、なにかもう僕たちから遠くに行ってしまったようだ。出演者はみんなお金持ち。豊かさを振りまいている。ニュースキャスターも原稿を読んでいるだけ。報道の自由、真実の報道などすっかり忘れてお金儲けのためにはしゃいでいる。ドラマや劇の娯楽番組も心温まるものは少ない。刑事物や医者物、残虐な事件の報道やグルメ番組、旅番組ばかりが目立ち、BSも政治的な意図がちらつくし、何か面白くない。操作された報道、操作された番組、娯楽番組、全てが何か一般の心とかけ離れた所で動いているのだ。何かこの差別・格差、報道支配に無性に腹が立ってくるのだ。我らは、金がないから旅番組を見てもどこにも行けない、生きていくのに必死でグルメなど食べられない。なにもない、ただ毎日働くだけ。勝ち組は、金持ちは楽しそうだ。豪華列車だって乗れる。おいしいものも食べれる。あのテレビに出てくる人のおいしそうに食べている姿。悲しくなるが、ため息ばかり。ああ、この世のすべては上から目線。金持ち優先。好き放題している。政治も自民党もすべてが金持ち、大企業優先。我らのことを虫けらだと思っているのだろう。そして彼らは、戦前が大好き、ヒットラーが大好き、自衛隊は我が軍と思っていて、国家は私と思っている。我らは、臣下なのだ。
日本は、平和憲法・9条によって守られた平和国家、自由と平等、平和、基本的人権を目指した世界から、自由と平等からかけ離れた格差社会・金持ち中心の国へ。特定秘密法案やマスコミ統制によってもう何をしているのかもわからなくなる大企業や軍中心、軍産業中心の秘密国家へ。自衛隊の段階から国家のためなら人殺しを平気でする軍隊へ、国民すら殺す軍隊へ。もう北朝鮮や中国と変わらない国へ。戦前から続く安倍やその一派達によって日本国憲法の精神は完全に戦前のように覆されようとしている。
この安保法案は彼らが描く最終段階のシナリオの一つとして彼らによって企てられている。何としても防がなくては日本が戦前と同じような国に堕してしまう。国会前に集まらなくては。もう僕たちや子供たちの未来はない。政治を取り戻さなければ、静かな革命を起こさなければ、もう日本の未来はない。フアシズム、独裁が来る。原発を止めなければ、福島第一原発を何とかせねば、オリンピックなどしている余裕が日本にはないはずだ。もう日本は崩壊前夜だ。憤怒を慰める道はない。
集まろう国会に、声を出そう、それしか自分や日本を救う道はない。日本国憲法がある限り我々が正義だ。
長くなって悪いのですが、1994年に出した、詩集「われら憤怒の地にありて」の「前夜」を掲載します。あの頃は、この詩が、この詩集を悪くした元凶で、過激で政治的だと皆から揶揄された。今見直されているのはうれしいやら悲しいやら。
前夜
笠原仙一
とうとう小選挙区制法案が通ったわ
まあ うれしそうに
政治改革 カイカクと テレビや新聞だけが
囃し立てるが これでますます
あかんわ もう
滅びるかもしれんわ 日本は
傲慢で強欲で金の亡者で利己的で
もう 心の底から頽廃で
それを システムや組織やマスコミが
煽って煽って
飾り立てて
心はもうこころではなく
良心 誠実 理性 真理 そんな価値観も
時代おくれと追いやられて
もうあかんわ
日本の未来はないかもしれんわ
弱者や金のない人には ますます政治は遠く
貧富の差は いよいよ激しくなり
病気になっても 年をとっても
暴力を受けても 冤罪にまき込まれても
誰も助けてくれず
人としての自由や権利は奪われて
無視され
捨てられ
国家や
殿様や権力者や金持ちの自由ばかりがまかり通って
それに群がる亡者どもやごろつきどもが
ますます
ますます権力を誇示して 脅して
ころりと世の中変わるのだ
憲法にかろうじて守られて四十七年
基本的人権や良心 理性 庶民の夢は終わり
権力者達の自由な時代が
再びやって来るのだ
しかし
しかしだ
投票するのは我らで
まだ我らには日本国憲法も残っているので
国民投票も残っているのだ
だから
はやく できるだけはやく
私情を捨て 日本の未来のために
社会党の人も 共産党の人も 組合の人も
学者達も 文筆家達も 芸術家達も
良心派も リベラル派も
草の根市民運動をしている人達も
みんなまとまって 今こそまとまって
真の護憲リベラル党を結成して欲しいのだ
今こそ 庶民の生活 権利
平和 民主主義 憲法を育てるための運動をして欲しいのだ
なあ
みんなまとまらな
今こそまとまらな
あんなに今まで 平和だ 民主主義だと言っていたのに
いったい俺たちの良心は 戦後の良心はなんだったのだ
この平和はなんだったのだ
我らよ すべてが無駄になってしまうじゃないか
このままでは最後には押し潰されてしまうじゃないか
戦後日本人が抱いた 夢も希望も自由も民主主義も消え失せて
また ファシズムがやって来るじゃないか
このまま黙って 憲法まで変えられたら
もう我らは 根性なし 卑怯者になってしまうじゃないか
─笠原仙一詩集「われら憤怒の地にありて」 一九九四年─
沁みて生きる幸せ
比較的幸せな人生を過ごしてきたように思われる実家の父が、晩年になって老いて苦しんでいる姿を見ると、人は長生きをしても大変だ、人生とは幸も不幸も必ず同じように平等にやってくる、そう沁みて思う。笠原の父や母の方は早くして死んだので、私たち夫婦は、若い時、人並み以上の苦労をした。そして時には、もっと長生きをしてくれていたらなあと嘆いたこともある。しかし今は、介護で苦しんでいる兄や友と違い、不思議なほど楽で落ち着いた生活を送っている。
しかし、この平和な時も長くは続くまい。私達が老いて介護が必要になった時、子供達は親の介護で苦しむ親の姿を見ていないから、きっと私達は、子供達から邪魔者扱いをされるだろう。今の幸せはいつかまた報いが来るだろうと思っている。すべては順繰りである。
さて、その時、どう私は心根を保っているだろうか。仏陀の道も、今まで求めてきた詩の道も、それ一点の修行だったのかもしれない、最近そのようなことを沁みて悟って、昔以上に深く手を合わすことができるようになった。風や空や大地や草花と感じ合えるようになった。沁みて命を、自利利他行、人の心を感じるようになった。自然と笑えるようになった。今の私は、この心境を密かに幸せに感じているのである。